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椿油つばきあぶら椿の種から搾る日本の油

ヤブツバキの種を搾った油で、日本では古くから髪油として使われてきました。奈良時代の記録から江戸の髪油、伊豆諸島や五島列島での今の作り方まで、椿油の歴史と使われ方を紹介します。

日本・伊豆諸島、五島列島など奈良時代の記録〜髪今も続いている

概要

椿油は、ツバキの種を搾って取る油です。日本で使われてきたのは、主に本州から九州の海岸近くに自生するヤブツバキの種です。

日本では古くから髪油として知られ、江戸時代には町の人々にも広く使われました。髪に使うだけでなく、食用の油や灯りの油、機械の油としても暮らしに生かされてきました。今も東京都の伊豆大島や利島、長崎県の五島列島などで作られています。

歴史

奈良時代の記録

椿の油が文献に現れる早い例は、『続日本紀』の宝亀8年(777年)5月の記事です。日本を訪れていた渤海(今の中国東北部などにあった国)の使節が帰るとき、使節の求めに応じて、渤海の王に贈る品に「海石榴油(つばきあぶら)一缶」が加えられました。「海石榴」は、古くツバキを表した書き方です。

ツバキそのものはさらに古くから知られ、『万葉集』にも詠まれています。木の灰は、紫の染め物で色を定着させる材料(媒染剤)に使われたとされます。五島列島には、遣唐使の船が椿油を唐の皇帝への贈り物として運んだという話も伝わります。

江戸時代の髪油

江戸時代の初め、1633年の俳諧集『犬子集』には「しぼり出す椿あぶらか花の露」という句が載っています。百科事典は、椿油が古くから髪油として使われてきたと説明しています。

江戸時代には、男性も女性も髪を結い上げる髪型が広まりました。髪を結うときには、蝋と油を固く練った「鬢付け油」などが使われ、椿油も髪につける油の一つとして親しまれました。

伊豆諸島の利島では、江戸時代から椿油を作ってきました。年貢として椿油を納めたと伝わります。伊豆大島でも、種から油を搾るためにツバキが植えられ、島のあちこちに「椿山」と呼ばれる林が作られました。

作り方・使い方

秋に熟した実を集め、日に干して殻から種を取り出します。種を砕いて搾り、出てきた油をこして仕上げます。五島列島では、天日で干した種を砕いて搾り、活性炭を入れた和紙でゆっくりこす方法が、昔からのやり方として紹介されています。家の周りの木から種を拾い、製油所に重さで売る住民も多いといいます。

伊豆大島では、ある程度の太さの幹を杭のように地面に打ち込んで、椿山を作る方法が一般的でした。種を搾ったあとのかすは燃料や肥料に、硬い材は工芸品に、炭は燃料に、枝葉の灰は染め物に使われました。木のすべてが暮らしの中で使われてきたのです。

髪に使うときは、少量を手に取って髪になじませるのが昔からの使い方です。つげ櫛に椿油をしみこませ、その櫛で髪をとかす使い方もよく知られています。

今の暮らしの中で

今の主な産地は、東京都の伊豆諸島と長崎県の五島列島などです。利島は椿油の産地として知られ、島じゅうでツバキが育てられています。五島列島には自生のツバキが多く、その数は約900万本ともいわれます。

五島列島では、椿油は料理にも使われます。名物の五島うどんでは、麺を手で細く延ばすときに椿油を塗ります。伊豆大島と五島列島では、冬から早春の花の時期に椿の祭りが開かれます。

売られている椿油には、食品として売られるものと、化粧品として髪や肌に使うものがあります。法律上の区分や表示が違うため、使い道に合った表示のものを選ぶことが大切です。

よくある誤解・豆知識

「椿」はもともと日本のツバキを指す字ではありませんでした。 漢字の「椿」は、元来は日本のツバキを指すものではなかったとされます。日本で「春の木」としてツバキに当てた字とする説明もあります。中国ではツバキを「山茶」などと書きます。

サザンカとは別の木です。 よく似たサザンカは、葉が小さく、花びらが1枚ずつばらばらに散る点でツバキと異なります。ツバキの花は、花びらがつながったまま落ちます。

花の落ち方にまつわる俗信があります。 ツバキの花が首が落ちるように散るとして、病人の見舞いには向かないとする地域がありました。ただし、なぜそう言われるようになったのかは、はっきりしないとされます。

参考文献

最終更新:2026-10-11

このページは、世界の装いと美容の品を、歴史と文化として紹介するものです。医療上の効果や、美容上の効果を保証するものではありません。肌に合わないときは使用をやめ、気になることは医師や薬剤師に相談してください。民族や信仰にかかわる装いは、その意味を尊重して紹介しています。

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